2008年10月16日木曜日

弓矢。

こんばんはー



中森明菜です。



♪わたしは泣いた~ことがな~ぃ~( iДi)ノ





早速かオラー!







そんなわけでー

PC壊れたー

組みなおしたー

お金かけすぎたー

つかれたー





今週もガンバッテコー





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さてみなさん
完全にMHと関係がなくなってきたブログへやぅこそ(死



私も最近、何かと忙しくやっておるフリをして
サボって図書館などに篭る。
読書の秋~、ナーンツッテナー(゚Д゚)

そうやって、知識を蓄えてるつもりになってるんだー。
伊達に長生きしてるわけじゃない、といいたいが
ハッキリいって、20歳超えてから5mmも成長してません
いろんな意味で・・・ハイ。



ずいぶん昔から
哲学ちっくな蔵書を読み漁っております。
するってーと、私のアイデンティティは壊れ
なんだか、いろんなものに感化されているわけですが・・・。


MHFでは、自称弓師を名乗っているものの
一向に腕がついてこない・・・というか覚束ない。
そんなときに、ふと昔よんだ「パラドックス」についての
文脈を思い出す。


なんだ、その食べれるのかなんだかわからないものは?
なんのことはない、イロイロと定義されたり人間の範疇で
議論されたりする、「矛盾」のようなものと思っておくれまし。
そこで私が思い悩んでいること・・・。

弓で矢を放つということに関して、いつも思考停止してしまう
事柄が私の心を掴んで離さない。
このパラドックスを解消してくれる人、大募集。





まずは下の図を見てほしい。


今、矢を前方1mの的に向かって射ようとしている。
果たして、この矢は的に見事命中するだろうか?
いや、遊撃手の腕前とか、重力とか風向きとかは
一切ここでは無視してほしい。
ただ一直線に飛んで行く矢と、それを迎える的だけを
概念に導入する。

この場合、的に当てるには、1mの中間地点、すなわち50㎝の
点Bを必ず矢は通らなくてはならい。
当たり前である。

さて、この分断点Bに到達するまえに、25㎝の位置
点Cとしよう、これももちろん通過しなければならない。
この場合、的までの距離は1/4mということになる。
なんだ当たり前のことが続くな、とお思いだろうが
今しばらくお付き合い頂きたい。

ところが、点Cに到達する前に、12.5cmの点Dも通らなければならない。
これは、的までの距離として1/8mということになる。
点Dを通る前に、さらに点Eを、その前に点Fを・・・


さて、この矢が的に到達するまでに通過しなければならない点
すなわち分断点は

1/2、1/4、1/8、1/16、1/32、1/64、1/128・・・・・・1/∞

そう、この分母は自然数である。
自然数の個数は・・・そう、無限である。
すなわち、1mという有限の距離の中に、無限の分断点が存在している
ということになる。これでは、いつまでたっても矢は的に当らないという理論だ。
(小数点を用いて微小数点をどれだけ大きくしていっても構わない、がいつまでたっても
総和が1になることはないのである)
わかっていただけるだろうか・・・
分断点を全て足す、すなわち分断点の総和は
いつまでたっても「1」にはならないのである。

しかし、もっと簡単に数学的方法で、これはいとも簡単に解決する。
例えば、力学的にxkgの負荷をかけ、弓を引いた場合、この矢は
1m/s 秒速1mで飛ぶと過程した場合、1秒後には的に命中する。
と、小学生でもわかる理論で理解することができる。

しかし、その1秒間の間に無限の分断点を通過しきって
矢は的に当ることができるという証明にはなっていない。
なぜならば、無限を有限である制限時間内、1秒間に通過しきる
すなわち数え終わることは不可能である。

これは、どういうことか。
無限というものは、多くの哲学者、数学者、力学者などが論争を
繰り返してきたものであるが、いまだにハッキリとした答えを見出せない
とても曖昧な存在であるということを付言せねばならない。
が、お分かりの通り、無限が尽きる、ということはないのであるから
たとでどれだけの時間があったとしても、それは永遠に続くのである。

しかし乱暴にも数学者は、この無限を有限なものに閉じ込めることで
一応の発展を遂げてきた学問であるということだ。
これは、高校時分にならったと思われる集合、すなわち集合論という
ものだが、集合の中にある無限という、一見矛盾したことを良しとして
妥協のもと進めてきたのが数学という学問なのである。


さて、矢と的の話に戻ろう。
この矢は1秒後に必ず的に当るのだが、この1秒が無限の分断点を
通過するがために、永遠の1秒となるわけだ。
ともすれば、この矢は動き出すことさえもできない。
運動というものは、力学上・物理学上証明されるべきものであるのに
哲学的、論理的には運動を引き起こすことができないでいるのである。


なんということだろう。我々の実質社会で起きるできごとには、このように
理論ではいまだ解決できない矛盾「パラドックス」が多数存在している。
これは哲学・数学・物理学・確率論・経済学など、あらゆる分野に既存して
なお、論争を続けている命題である。
完全に解決されたと思われている古いものでも、やはりそこには矛盾が
今尚残って、私たちの境涯の狭さを嘲笑っているかのようである。

ここで示した、弓と矢のパラドックスも
古代ギリシャのゼノンという人が提起したパラドックスの一つ
「アキレスと亀のパラドックス」を変形させたものだ。
これはかなり有名なものであるので、一般の方にも広く知れ渡って
いることだろう。


こういった、矛盾を解消できない、なんていうかモゾモゾ感?
これが、私の中にイッパイあるw
とりあえず、もっとも判りやすく、尚古くからあるこの問題を
誰かスッキリとする、解決法によって私に安眠を与えてください。

どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m


いじょ。